恐怖のシクロヘキシルメチル基を回避する話: たゆたえども沈まず-有機化学あれこれ-
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2020年08月05日

恐怖のシクロヘキシルメチル基を回避する話

ベンゼン環といえば有機化学だけでなく化学、科学全般はおろか、一般人でも見たことあるレベルの「ザ・化学(っぽい)」なイメージが広く知れ渡った化学構造と言えます。6員環に便宜上3つの不飽和結合で表記した「シクロヘキサトリエン」として描かれますが、実際にはそれぞれがオレフィンのような挙動を示すわけではなく、非局在化・芳香族性によって強力に安定化された構造となっています。その安定性もあって、大概燃やしたらベンゼン環含む何かにはなるので潤沢にある資源でもあります。この2次元構造であるベンゼン環の芳香族性をぶっ壊して、sp3の三次元分子の原料にしてやろう、というアプローチは、昔からBirch還元やアンゲで大炎上した人みたいに酵素による不斉酸化などをつかって天然物合成でもやられてきましたが、ここ10年くらいでさらに複雑な手法が発展し、無置換ベンゼンからの全合成まで登場しました。

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Synthesis of (+)-Pancratistatins via Catalytic Desymmetrization of Benzene
D. Sarlah et al.
J. Am. Chem. Soc. 2017, 139, 15656

Catalytic Three-component C–C Bond Forming Dearomatization of Bromoarenes with Malonates and Diazo Compounds
K. Muto, J. Yamaguchi, et al.
Chem. Sci. DOI: 10.1039/D0SC02881A


一方、こういった置換でsp3分子に変えていくスタイルだけでなく、単純に還元してsp3分子に変換、未知の分子と構造による化学的性質を解明しようという基礎的な研究も盛んです。例えば、塩素やフッ素といったハロゲンを持つベンゼンを、ハロゲンを還元的に飛ばすことなく、かつベンゼン環をシクロヘキサトリエンかのように水素付加してその(形式的)2重結合を還元し、ヤヌス型分子を合成してそのコンホメーション、相互作用を解明するという、きわめて基礎科学的な研究も2020年だけで多数報告されています。

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Janus face all‐cis 1,2,4,5‐tetrakis(trifluoromethyl)‐ and all‐cis 1,2,3,4,5,6‐hexakis(trifluoromethyl)‐ cyclohexanes
D. O'Hagan, et al.
Angew. Chem. Int. Ed. DOI: 10.1002/anie.202008662

From Hexaphenylbenzene to 1,2,3,4,5,6-Hexacyclohexylcyclohexane
A. Narita, K. Müllen, et al.
J. Am. Chem. Soc. 2020, 142, 12916.

アレーン類の水素化反応による官能基を有する飽和環式化合物の合成
(Review de Debut, オープンアクセス)
渡邉康平
有機合成化学協会誌 2020, 78, 723.


とはいうものの、日常的にはあまりベンゼン環自体を還元することはそうそう一般的な話ではないんですけどね。そもそも頑丈だし。

一方、芳香族化合物を取り扱ってない人でも多段階合成を行う際よく登場するベンゼン環といえば保護基として知られるベンジル(Bn)基があります。水素ガス雰囲気下Pd触媒などによる水素化分解で簡単に?外せる点が売りです。この際、ベンゼン環自体は壊れていません。なお、この脱保護は「水素化分解(hydrogenolysis)」であって2重結合の還元のような「水素化(hydrogenation)」ではないので用語に注意。

ところがどっこいこのベンジル基、肝心な時で外れないことでもおなじみ。外れないのでもむかつくのに、頑丈なはずのベンゼン環が水素化分解条件で見事に水素化還元され、シクロヘキシルメチル基に変化して外せないオワタ、となるケースすらあります。こうなると本当にどうしようもありません。てかお前「シクロヘキサトリエンじゃない」んじゃなかったんかい、普段頑丈で言うこときかないくせに。

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保護基をめぐる恐怖譚 (有機化学美術館・分館)

「なあ……誰かシクロヘキシルメチル基の外し方を知らないか?」

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そんな懐かしのAA置いてるくらい余裕あるならいいですが、大概絶望のどん底に突き落とされることになります。
そんな怪談ネタばかりをを夏よろしくかき集めた怪談話・・・をしてもいいんですが、これ以上人間を絶望に追いやることをするのも憚られるご時世なので、その回避法についての話も上げることにします。


Burton, Holmesらはオクタラクチンの合成の過程で、8員環ラクトンの3置換オレフィンを選択的に還元する必要に迫られました。ところがこの3置換オレフィンが頑丈な上、Pearlman触媒でやっと還元したと思っても全く立体選択性なし。アダムス触媒を使ってやっとそこそこの選択性で還元できたと思いきや、そこにはなんとベンゼン環が完全にやられてしまったシクロヘキシルメチル基の姿が!!

というわけでえらい気を使って還元しないといけないうえに、このあとPearlman触媒で脱保護しないとジアステレオマーの分離ができないなど、色々といまいちな本ルートはあえなく没、ベンジル基じゃない保護基に変えた経路が採用されましたとさ (完)

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A Concise Synthesis of the Octalactins
J. W. Burton, A. B. Holmes, et al.
J. Am. Chem. Soc. 2004, 126, 2194.


ただ、普通の天然物合成ではベンジル基はそんなに数がないのでさほど問題にはあがってきません。その一方、多糖類の合成では大量のベンジル基を脱保護する必要に迫られることが往々にしてあります。Leyらは高マンノース多糖の合成最終段階の脱保護、ベンジル基の除去で大変な目に遭っています。20個ものベンジル基をまとめて落とすことを迫られたのですが、Pd(OAc)2を用いた水素化分解脱保護条件で無事脱保護体がえられたものの、収率は最高でも40%以下、それも大スケール化ができませんでした。

副生成物として観測されたのが、すべてのベンジル基が除去されているわけではなく、どこかのベンジル基が残存しその芳香環が水素化、シクロヘキシルメチル基になってしまったものが見られたというのです。なお、なんでよく使うPd/Cじゃないのかというと、Pd/Cを使った時には超高極性の多糖脱保護体がチャコールに吸着されるせいか全く生成物が得られないという結果になったため、担持しない生のPdが成功の秘訣だった、というわけです。
こうしてみると確率的に結構ベンジル基ってシクロヘキシルメチル基になっちゃってんだなあ。


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A New Strategy for Oligosaccharide Assembly Exploiting Cyclohexane‐1,2‐diacetal Methodology: An Efficient Synthesis of a High Mannose Type Nonasaccharide
S. V. Ley, et al.
Chem. Eur. J. 1997, 3, 431.


じゃあもうベンジルなんかやめて別の保護基にしようぜ!
って考えるようになったときは時すでにお寿司、というパターンが大概。
シガトキシンの全合成では、分子構造に不飽和結合があるせいで水素化分解による脱保護は不可能。Birch還元条件で外す羽目になるのですが、これがアリル位エーテル結合まで切れちゃうので収率は一桁台。それでもFirst synthesisはできたからいいんですが。
というわけでDDQによる酸化条件が使えるナフチルメチル(NAP)基に変えたところ、収率は大きく改善!
ってほとんど原料からの再スタートなんですがそれは(白目

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Practical Total Synthesis of Ciguatoxin CTX3C by Improved Protective Group Strategy
M. Inoue, M. Hirama, et al.
Org. Lett. 2002, 4, 4551.

Rational Design of Benzyl-Type Protecting Groups Allows Sequential Deprotection of Hydroxyl Groups by Catalytic Hydrogenolysis
M. J. Gaunt, J. Yu, J. B. Spencer
J. Org. Chem. 1998, 63, 13, 4172.
↑NAP基の初報論文ですが、今見ると著者のメンツすげえなって。


さて、たかがPd/Cのくせにベンゼン環までやらかしてしまうのは、ひとえにその還元力・活性が強くなりすぎているためでもあります。水素添加をやったことがある人ならわかるかと思いますが、この反応は溶媒によってその活性が大きく変わります。大体の場合は溶媒検討では活性を強くする、プロトン性溶媒にするといった試し方をすることになりますが、逆に、DMSOやDMFといった高極性非プロトン性溶媒を用いることによって、ベンジル基の芳香環まで還元されるといったことを防ぐことができることも分かっています。やったぜ!

え?なぜ還元されなくなったかって?それはそもそも反応が進まなくなったからですよ(白目

Effects of Solvents on the Hydrogenation of Mono-Aromatic Compounds Using Noble-Metal Catalysts
S. Morooka, et al.
Energy Fuels 1999, 13, 1191.


反応が進まなくなっちゃったんじゃ仕方ない、そこからまた活性を強くする方に振っていこう、ってことで登場した手法が以下のもの。水素化条件をDMF溶媒に変え、且つ過剰量のプロトン酸を加えることで、弱い芳香環の還元を抑えつつ、ベンジル基の除去を可能にしました。
以下の例では、ベンジル位エーテルを持つラクトンに対して適用することで、ちゃんとベンジル位だけが還元されてラクトンが切れた化合物がそれなりの収率で得られるようになりました。

え?「テトラリンに還元されてるやつも取れてんじゃん!」って?いえいえ、過去の例の反応だとそもそもナフタレン環が無事な化合物自体が取れてこず、ベンジル位も切れてないものすら取れてくる始末(なおこの文献はそのあとのステップでナフタレン環に酸化して元に戻してる)なので、大幅な改善なんですよ。なお、「原料後入れ」とあるように、最初にPd/CをDMFと酸で前処理しておくことが本手法で重要。

(※原料はいいんですが、水素化条件の時の触媒Pd類の後入れ・追加は注意。水素雰囲気下でこれをやると入れようとしてる触媒と水素ガスが反応して火の玉を出し大惨事になります。水素ガスを全部不活性ガスに置換して追い出してからにしてください)

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HCl/DMF for enhanced chemoselectivity in catalytic hydrogenolysis reactions
U. Ellervik, et al.
Tetrahedron Lett. 2010, 51, 5200.

Synthesis of peri-substituted naphthalenes and tetralins
E. J. Eisenbraun, et al.
J. Org. Chem. 1982, 47, 2590


これもこれで解決法としてはいいんですが、そもそも活性を低くして、かつ酸を大量に加えるという条件はなかなか厳しい場合もあろうかと思います。

そこで最近登場したのが、より汎用性の高い、Pd/C類を事前調製して使う方法です。

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Optimized Conditions for the Palladium‐Catalyzed Hydrogenolysis of Benzyl and Naphthylmethyl Ethers: Preventing Saturation of Aromatic Protecting Groups
C. Crawford, S. Oscarson
Eur. J. Org. Chem. 2020, 3332.

いきなり反応にかけるのではなく、まず含水DMF中にPd/C類を放り込み、そこに塩酸を加えます。水素ガス雰囲気下20分後に濾別してPd/Cを回収。こうして事前調製して得られたものを乾燥させずにそのまま反応に用いるというやり方です。吸引濾過とかすると発熱したり火出たりするからダメ。

これでなんで効果あるの?という感じですが、肝となるのはDMFと酸の存在。DMFは強酸または強塩基の存在により分解、ジメチルアミンが発生します。曰く、このジメチルアミン(発生はニンヒドリンで確認)によるびみょーな被毒が、過剰な活性をおさえたうえでベンジル基もちゃんと落とす、というのに役に立っているようです。別段トリッキーなことをしているわけでもないので、もしシクロヘキシルメチル基で困ったことになれば一度試してみるのもいいのではないでしょうか。実際著者らはこの手法を用いることでスケールアップならびにフロー合成での利用も可能にし、多糖保護体の持つ大量のベンジル基を、アセチル基をのこしたまま収率よく除去することに成功しています。これをやらない場合、大量のシクロヘキシルメチル化体ができてしまうケースもあり、だいぶ改善が見られます。


といった感じで、有機合成怪談話の定番、シクロヘキシルメチル化を回避するアプローチをまとめましたが、まあそれでもシクロヘキシルメチル基は落ちてないので、もし出来ちゃったらどうしようもないのは変わりません。
一方、最近はシクロペンチル基やシクロヘキシル基を還元的に除去する方法(言い換えるとCpメチルエーテルのCp環側の還元的開裂)も登場してるので、そのうちシクロヘキシルメチル基の除去法も出てくるんじゃないすかね?いや、知らんけど。

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Selectivity and Mechanism of Iridium-Catalyzed Cyclohexyl Methyl Ether Cleavage
N. D. Schley, et al.
ACS Catal. 2020, 10, 6450.

posted by 樹 at 09:00| Comment(0) | 有機化学 | 更新情報をチェックする
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