ところで関係ないけどカルバニオンなの?カルボアニオンなの?最近後者の方よく見る気がするけど(なお英語だと"カーブアナイオン")。今回は管理者権限によりカルバニオンに統一します(ぉ

しかしエノラートもなんでも出せるわけではなく、分子の構造などによってはその発生が困難な場合も存在します。そんななかで、はた目には「え、そんなとこエノラート出せないでしょ?」となるような場所でエノラートを発生させて合成に利用した例を紹介します。
Danishefskyらは2000年代半ば、世界的に全合成ターゲットとして当時ブームになっていたPPAP天然物(PolyPrenylated AcylPhloroglucinol)の全合成を先駆けて行っています。その合成の鍵反応のひとつが以下のものです。コアとなるビシクロ[3.3.1]ノナン骨格を持つジケトンに対し、嵩高い塩基を作用させたのちヨウ素で処理すると、なんと2つの環の繋ぎ目部分のC-Hがヨウ素に置換されたものが得られました。

Tsukano, C.; Siegel, D. R.;Danishefsky, S. J.
Differentiation of Nonconventional “Carbanions”—The Total Synthesis of Nemorosone and Clusianone
Angew. Chem. Int. Ed. 2007, 46, 8840.
さてこれの一体何が問題なのでしょうか。
化合物が炭素-炭素不飽和結合を作るには単結合のほか、π電子を納めるp軌道が隣同士オーバーラップしている必要、つまり同一平面に存在する必要があります。そうでなければπ電子の非局在化ができなくなり、2重結合として成立できなくなってしまいます。例えばビシクロ[2.2.1]のノルボルナン型では普通の2重結合はなんの問題もありませんが、2つの環が架橋部位をもって繋がった分子の繋ぎ目(橋頭位、bridgehead)を含んだ不飽和結合を作ろうとした場合、強固な骨格による歪みのせいでp軌道はねじれにねじれて直交に近い型になってしまいます。分子模型を作ればすぐわかりますがもうこんなねじれた2重結合なんかまともに存在できません。こうした「2環性骨格の橋頭位を含む部位に安定な不飽和結合を作ることはできない」ことをBredt則と呼びます。
つまり先程のDanishefskyらの合成では、Bredt則に反する「出ないはずの」エノラートを介して橋頭位炭素の修飾がされているということになるわけです。

しかし逆に言えばp軌道相互作用が可能になるくらい歪みがなくなる、つまり環が大きくなってくればこのBredt則は当てはまらなくなり、(大変は大変だけど)橋頭位に安定なオレフィンを入れることは可能になります。こうした話でよく出される例としてタキソールがありますが、Holtonらはその全合成において、6員環側の反Bredt則オレフィン存在下、さらに8員環側から橋頭位エノラートを発生させて官能基化を行っています。これは6員環8員環からなるビシクロ[5.3.1]骨格という比較的大きい骨格でかつ大きな8員環側からエノラートを出していることが成功の要因となります(作るのが大変なのは6員環側のオレフィン)。

R. A. Holton et al.
・J. Am. Chem. Soc. 1988, 110, 6558
・J. Am. Chem. Soc. 1994, 116, 1597
・J. Am. Chem. Soc. 1994, 116, 1599
ではもっと小さく、さらに歪んだ「橋頭位エノラート」を出す系ではどうなるのでしょうか。
Simpkins、Hayesらはこうした橋頭位「エノラート」に興味を持ち、その構造と反応性について実験的計算化学的アプローチから分析を行ったところ、ビシクロ[3.2.2]型ではまだ環の縛りが弛いのでエノラート型の寄与が多くなれるのに対し、環がひとつ小さくなったビシクロ[2.2.2]型となると、高い歪みのために橋頭位エノラート型ではなく橋頭位カルバニオンの寄与ががメインとなってくることが計算結果より示唆されました。

C. J. Hayes, N. S. Simpkins, et al.
Bridgehead Lithiation-Substitution of Bridged Ketones, Lactones, Lactams, and Imides: Experimental Observations and Computational Insights
J. Am. Chem. Soc. 2009, 131, 8196
一方、先程のPPAP天然物のビシクロ[3.3.1]型はどうかというと実は微妙で、構造計算としては橋頭位カルバニオン型の方がエノラート型よりも安定ではありますが、実際の反応において「エノラート」の発生させかたによって明確に反応性が違っています。先程のもそうですがDanishefsky, Siegelのgarsubellinの全合成において、最初の条件ではヨウ素での捕捉、2段階目の金属交換条件で炭素-炭素結合形成を行っています。直接の炭素-炭素結合形成ではありません。これについてSimpkins, Hayesは「エノラート」を発生させる条件によって活性種が異なっているのではないかと提唱しています。なお、こういった分子をシリルエノールエーテルとして捕捉しようとしても、橋頭位炭素がシリル化されたものしか取れません。やっぱり歪み解消に働く方が強いんかしら。

D. R. Siegel, D. S. J. Danishefsky
Total Synthesis of Garsubellin A
J. Am. Chem. Soc. 2006, 128, 1048
N. S. Simpkins et al.
1) Synthesis of Polyprenylated Acylphloroglucinols Using Bridgehead Lithiation: The Total Synthesis of Racemic Clusianone and a Formal Synthesis of Racemic Garsubellin A
J. Org. Chem. 2007, 72, 4803
2)Bridgehead enolates and bridgeheadalkenes in a welwistatin model series
Chem. Commun. 2009, 1398
3)Bridgehead enolate or bridgehead organolithium? DFT calculations provide insights into a difficult bridgehead substitution reaction in the synthesis of the polycyclic polyprenylated acylphloroglucinol (PPAP) nemorosone
Org. Biomol. Chem. 2013, 11, 8458
さて、先ほど見たようにビシクロ[3.3.1]よりも環の小さい骨格では、橋頭位エノラートとしてよりも橋頭位カルバニオンとしての寄与が支配的になります。ということはいわゆるエノラートとしての構造安定化が出来なくなってしまうことからその反応性は圧倒的に高い、言い換えると不安定になります。はたして合成法として使い物になるのでしょうか。
という前フリをしているということはそんなことはないわけで、精密な制御による利用もされています。
下川、福山らはビシクロ[2.2.2]骨格の2つの橋頭位両方へのカルバニオン発生を精密にコントロールした全合成を達成しています。スルフィドブリッジをもったジケトピペラジン骨格橋頭位C-Hのうち、まず硫黄置換されているカルバニオン発生のしやすい側のみで選択的に塩基でカルバニオンを発生、ベンズアルデヒド存在下での条件により即時アルドール反応を起こすことで、原料であるシステインの光学活性中心を保持しつつ橋頭位でのC-C結合形成をに成功しています。もう一方の橋頭位はカルバニオン発生からのβ脱離にて2環性骨格の分解に利用し、光学活性な(+)-hyalodendrinの全合成を達成しました。

R. Takeuchi, J. Shimokawa, T. Fukuyama
1) Development of a route to chiral epidithiodioxopiperazine moieties and application to the asymmetric synthesis of (+)-hyalodendrin
Chem. Sci. 2014, 5, 2003
2)Synthetic Studies on Heteropolycyclic Natural Products: Strategies via Novel Reactions and Reactivities
有合化 2017, 75, 1115 (Open Access)
ではさらに小さなビシクロ[2.2.1]骨格ではどうでしょう。こうなるとさらに反応性が高くなるため、ケトンから直接カルバニオンを出してしまうと、カルバニオンを発生させたそばから未反応基質と反応してしまいます。そこで谷野、宮下らはカルボニルではなくヒドラゾンとして利用することで、続くcuprateによるアルキルトシレートとのSN2カップリングに成功、glycinoeclepin Aの全合成を達成しています。

Miyashita, M.; Tanino, K. et al.
Asymmetric Total Synthesis of Glycinoeclepin A: Generation of a Novel Bridgehead Anion Species
Chem. Lett. 2010, 39, 835.
というわけで橋頭位オレフィンを出すようなエノラートについてみてきましたが、重要なことは環が小さい反Bredt則「エノラート」にみた目なってしまい、アニオンが出せなさそうな系であっても「橋頭位カルバニオン」を発生させることができ、それらを合成化学的に利用することも可能であるということです。
さて、長くなりすぎたので分けますが、「出せない(ように見える)エノラート」の話はまだ続きます。
↓
出ないはずの?エノラートの話 その2:高周期14族元素のエノラート