とあるニュースが先月末あたりから海外を中心に話題となりました。
「大炎上男」が「1錠9万円」に吊り上げたHIV薬、オーストラリアの高校生が約230円で作り出すことに成功(engadget日本版)
米の「最も憎まれた男」の鼻を明かした? 豪の高校生たち (BBC Japan)
Australian students recreate Martin Shkreli price-hike drug in school lab (The Guardian)
Students make $750 drug cheaply with Open Source Malaria team (The University of Sydney)
オーストラリアのシドニーグラマー校の高校生らが、pyrimethamine (商標名Daraprim)を合成、市価11万ドル相当の量をわずか20ドル程度で作ったというニュースです。
マラリアのみならずHIV治療薬として現在も使われているpyrimethamine自体は1953年上市という半世紀以上前の創薬分子なので当然化合物特許もオリジナルの製造特許も切れているわけですが、なぜこれが今更話題になるのでしょう。実はTuring Pharmaceuticalsという会社がこれの米国内独占販売権を取得、そのアメリカでの薬価を$13.50から$750.00という50倍強にも釣り上げたことがそもそもの発端にあります。
この製薬会社は当時のCEO、Martin Shkreli(シャリと読むらしい)が大半を出資して設立したものなのですが、この人、フォーブス誌による「30歳以下の金融業界の成功者30人」にも選ばれたことのある超やり手のヘッジファンドマネージャーで製薬を中心に投資展開を行っている様子。ただし製薬・創薬に関するバックグラウンドは全くなく、投資など以外の面ではまるでダメ。アメリカ版ホリエモン(+村上ファンド)と言われてることからもわかる通りかなり人間性に問題があるようで、「マイナーな疾病の特効薬(シャーガス病薬も)」といった患者の足元を見て金儲けすることに躊躇も反省もなく、他人を徹底的に見下して侮辱する態度は政治家からも猛反発を浴び、世界的に大炎上しました。
“米国版ホリエモン”マーティン・シャリの素性とは (Wedge)
「バイオ坊や」のテレビ出演が大ひんしゅくを買い、バイオ株が総崩れ (market hack)
で、そんな中くっそ高くなったpyrimethamineを高校生がわずか20ドルで合成したというニュースが出てきたもんだからアンチ・Shkreliにしてみりゃナイスなフルボッコネタが上がったといえるでしょう、あとアンチ創薬企業とか。もっとも当のShkreliはこれに対し「人件費や設備費用は?」「物理化学者をただで働かせられるなんて知らなかった」「研究室の設備を無料で使えるのなら、なぜ自分は設備を購入しなければならなかったんだろうな」「先生たちが命令すれば、彼らはただで働いてくれるんだな」「どんな薬でも少ない量なら低価格で作れるよ」「薬の合成を学ぶだけではイノベーションにならない」と徹底的にバカにしてるので大して効いてなさそう (一方対外的なyoutubeでは祝福コメント出してるらしいので使い分けちゃんとしてるなあと)。
薬価50倍つり上げの元CEO、薬の生成に成功した高校生をからかう(AFP)
ただ、開発経費は年々高騰しており今では一つの新しい薬を生み出すのに数千億円かかるとまで言われています。それらの費用を回収しなければ会社としてやっていけないわけですから、原価が格安で作れたから企業は暴利をむさぼっている、という理屈はおかしいわけでそういう意味ではShkreliの言っていることは間違ってはないわけです。もっとも「pyrimethamineは大昔の分子だからとうに開発投資金は回収済」+「おまえ金出して販売権買っただけだから設備費以外苦労してないだろ」という意味で説得力はないのですけど。あと段階的でもなくいきなり50倍に値上げするとか真面目に稼ぐ気あんの?
さて、そんなpyrimethamine(daraprim)ですが、このシドニーの高校生らが一体どうやって格安でpyrimethamineを合成したのかについてはどこのメディアも触れていません。ちなみにpyrimethamineの構造式はこちら↓
安く簡単に作れ!って言われると結構悩ましい構造式にも見えますが、さてどうやって合成したのでしょうか。
そもそもpyrimethamineは工業的に以下のようなスキームで合成がされていたようです。ステップ数はわずか3、①縮合反応; ②エノール部位のO-メチル化; ③グアニジンを用いたニトリルへの付加と環化縮合→芳香族化ときわめて効率的。出発原料の(4-chlorophenyl)acetonitrileがびっくりするくらい格安。この辺は創薬他工業面での需要があってこの低価格なのかもしれませんね。
Daraprim合成特許や文献リスト
そんなことよりプロセススケールでジアゾメタン使用とかやばくね!?(赤字のとこ)
ジアゾメタンは強力なメチル化剤ですがそれゆえ強烈な発がん性、だけでなく極めて高い爆発性を持っているので実験室レベルでも最近はほとんどの場合で避けられるブツでもあります。まあプラント確立して安全性ちゃんと確保するのがプロセス化学の見せ所なんですが。
TMSジアゾメタンの話 (たゆたえども沈まず)
一方のオーストラリア高校生の方ですが、前述でリンク挙げた中ではBBCとかシドニー大とかがちゃんと書いていますが、無論高校生だけで全部合成企画までやったわけではなく、シドニー大の指導の下Open Source Malariaコンソーシアムの「Breaking good – Open Source Malaria Schools and Undergraduate Program」という企画(SSH, Super Science Hishschoolみたいなもん?)の一環として行われたもののようです。なので、これら合成の結果(失敗した実験なども)詳細についてはネットで公開されています。
Daraprim Synthesis overview (Open Source Malaria)
Daraprim Synthesis (Open Source Malaria)
Daraprim Synthesis by Sydney Grammar School (Open Source Malaria)
ニュースでは「高校生が格安で合成した!」となっていましたが、すでに確立されているスキームを見ると案の定原材料はすでにかなり安く抑えられています。
さて、高校生らの達成した合成経路はというと・・・
あれ、ほとんど変わってなくね?特に原料とか?
と思ったあなた、正解。先に載せたOverviewでもある通り、この高校生の合成企画は「既存の合成ルートの反応条件を高校生でもできるレベルに温和かつ安全なものに変えること」に主眼が置かれており、(政治的なぶちあげ方はさておき)別に格安で一から全く別のルートで作ることを目的としていないわけです。まあさすがに毒性爆発性の面で高校生に使わせるわけにいかないジアゾメタンの部分は大幅に変更になっており、ここのステップでの検討で苦労していたように思われます(2工程目をスキップしていきなり環化できないか、とかも試してます)。ちなみに2工程目のアルキル化は、ポリマー担持の硫酸メチルルートも試されてはいますが、成功するもののきわめてお高い(てかなんでこんな高いの選んだの、硫酸ジメチルでよかったんでは。やばいから?)ためなのか、最終的に没になっている模様。あともっと安いグアニジンカーボネートも同様に没。
したがって、今回のニュースは
×めっちゃ高い薬を高校生が格安で合成する方法を発見した!
ではなく
〇無駄に値段釣り上げられた高い薬を、既存の方法と同じ出発原料と合成経路を経て、(高校生にもできるレベルで温和な合成条件に変更しつつ)作ったら原価20ドルくらいになったよ!
が正しいといえるかと思います。だから別に合成経路として新しいわけではないというかほとんど同じで、ネットに転がってる「天才高校生!」という話は端から間違ってますし、これだと高校生がやろうがそれ以前から原価20ドルですから(工業化での効率化やバルク価格考えたらそれ以下か、あとちゃんと計算してないけどほんとにこの原価20ドルってのは途中使った溶媒とか試薬とかの代金含んでるんだろうか)。Shkreliによる値上げが環境や原料高騰といった仕方ない要因で行われたものではないことは明白なわけで、今更原価出してあーだこーだいうのはどうなんすかね。あくまでやっぱりこれは高校生に対する科学教育企画の一環であるわけで考える(失敗理由を考察する)プロセスがブログでもちゃんと書かれているのは大変よろしいとは思いますが、別段世界的ニュースにするようなものでもないかと。
じゃあなんでここまで拡散してるのかというとやっぱりMartin Shkreliの存在が一番の理由でしょう。どこの記事見ても「あの銭ゲバShkreliが」とか「世界で最も嫌われた男の鼻をあかした」とかいうフレーズ付きで書かれているので、要は単にこの人たたくネタとして大人がこの高校生の成果使っているんじゃないのという気がすごいしてます。もともとこの高校生のネタ面白いから取りあげようと思って調べ始めたのにこんな気分になるのは実に複雑。まあ化学にこの子らが(悪くない方向で)興味持ってくれりゃいいけどさ。
にしても、創薬分子を独自ルート(反応条件変えるだけでもいいから)合成するっていうのは高校SSHなんかにもよさそうな企画ですねえ。化学だけじゃなく原価と市場価格と比較して経済・経営の勉強もできるし。そういう意味では『あのクソ野郎が値段釣り上げた薬成分を自分たちの手でお手軽格安に作ってみよう!』という煽り文句が使えて比較的簡単に合成できる分子、という点でこの上なくマッチしたターゲットだったのかもしれませんね。