卒論修論シーズンも佳境ですね。もう発表が終わっている所もあるかと思います。英語で書く場合は別として、日本語で文章を書く際には漢字の間違いに気を配らないといけません。
試薬の合成に使うのは「調整」ではなく「調製」。電子「吸引性」ではなく「求引性」。ちゃんとなっていますか?間違ってたら差し替え時にちゃんと直しておきましょう。
さて文章と違い、口頭発表を行う際には化学でのフォーマルな言い回しでの説明をすることは当然として、文章書きでの漢字の「書き」と同じように、化学用語の漢字の「読み」に気をつける必要が出てきます。日本語の学習が難しいとされる一因でもありますが漢字には数多くの読みがあり、同じ漢字でも単語ごとで違う読み方をすることはザラです。そのため思い込みで読んでいるのが実は間違った読み方だったりすることもあるわけです。どこぞの国の元総理は漢字読み間違いとかずいぶんとくだらない理由でフルボッコにされてましたが、いずれにしても正しい読み方を知っておくことはとても重要です(化学に限らず)。
例えば「親」という漢字でも「親イオン(parent ion)」は「『おや』イオン」ですが、「親ジエン体(dienophile)」の読みは「『しん』ジエン体」と読みます。
「『おや』ジエン体」ではありません。
上の例はまあ分かりやすい単語ですが、Counter ionの日本語訳である
「対イオン」「対カチオン」「対アニオン」
これらは実は「『つい』イオン」ではなく「『たい』イオン」が正しい読み方です。
こう書いてる本人も「『つい』イオン」だと思ってたので「んなあほな」と思い、和英の有機化学用語集を見てみると、確かに「対イオン」は『た』の項目に載っており、『つ』にはありません。考えてみれば対(つい)であるならばそれはペア(pair)を意味するわけですので、そうなるとイオン対(つい, ion pair)という言葉と同じになってしまいます。「○○と対(つい)を成すもの」という意味では『対(つい)』と読んでもよさそうですが、"Counter"という単語は相対する存在を示すものであるので『たい』と読ませるようにしたのでしょう。
またこの辞書には「対イオン」= counter ion (gegen ion)と書かれており、おそらく日本語として輸入する大元になったであろうドイツ語でもgegen(~に対する、~の向かいに)が使われていることからも、ペアを意味する『対(つい)』よりも『対(たい)』という読みが適切であると考えることが出来ます。
ウルトラ余談ですが、哲学用語である「対他存在」も「たいたそんざい」と読みますので、「対存在」という単語に「『つい』そんざい」という台詞を充てたナムコのゲーム「Xenosaga」は間違っていると言えます(よくまあ10年以上前のゲームの台詞を覚えてるもんだ)。なお、大元であるスクエニの「Xenogears」の方は声が無いので「ついそんざい」なのか「たいそんざい」なのかは不明。
さて、修論等にはまるで影響しないどうでもいい単語ですが、
海砂
みなさんはこれをどう読んでいますか?多分「かいさ」派が多数かと思われますし、weblioでの検索でも「海砂」=「かいさ」としか出てきません。業界が違うと「うみずな」「うみすな」とも言うらしいのであってるとか間違ってるとかは無いのでしょうけれど。
しかしこの「海砂」、
かい『しゃ』
とも読むということを御存じでしょうか。
実際、関東化学およびナカライテスクでの薬品検索を行うと「かいしゃ」での検索で『海砂』がヒットする一方で、「かいさ」ではなにも出てきません。
和光純薬、純正化学、Aldrichでは漢字でないとヒットしないため「かいしゃ」なのか「かいさ」なのか不明ですが、少なくとも関東化学・ナカライテスクでは「海砂(かいしゃ)」なのです。砂利(じゃり)の「じゃ」が濁らない版ってことですね。
こんな風に普通に使っている単語でも
実はこんな読み方だった!ということもあるのです。
ニホンゴむずかしいアルヨ!
参考文献:
巻頭言 化学用語雑感(川島隆幸), Organometallic News 2012, No.3, 69.
何を論拠に「対」の読み方が「たい」であると
しているのでしょうか?
いや、それが間違っているというのではなく、
この種の議論は何をもって「正しい」とするか
きちんと定義しないと、神学論争化するので
ふと思っただけです。
改めてちゃんとした辞典で確認してみました。
岩波書店 理化学辞典
「あるイオンに対して異符号の電荷を持つイオン」
東京化学同人 科学大辞典
「いま仮にカチオンに注目して電解質溶液の性質、反応性を考えるとすれば、その反対符号の電荷を持つアニオンは着目イオンのパートナーであり、対イオン(対はタイと読み、対するの意)と呼ばれる」
とありました。つまり、イオン対(つい)の場合には
「2個のペアそのもの」
を指しているまさに対(つい)であるのに対し、
対(たい)イオンは
「2個(以上)のペアのうちの一個が分かっていて、それのもう一方」
であり(「○○の対イオン」という言い方でしか使われない)、ある一個に『対する』イオンを示すものであるため、「たい」という読みで定義されているようです。
複数の辞書でそうなっているのなら確かに「たい」が正しいんですね。