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2012年12月06日

卓上NMRの話

今年の前半に卓上NMRという話が話題になりました。永久磁石を用いた45MHzのNMRで、大きさはオシロスコープと同じくらいだったような気がしますって例えがわかりにくいか。カステラの箱二つ分くらいですかね(それも微妙


株式会社エスティジャパン STJ
picoSpin NMRパンフレット(PDF注意)


何せ液体ヘリウム・液体窒素もいらない、永久磁石なのでクエンチも心配がいらない、センサーが壊れても一個100万円程度で交換できる(高いじゃんと思うかもしれませんが、超電導NMRで部品をどうにかしようと思ったら100万円なんてあっさり逝きます)、という素晴らしいふれこみでしたのでえらく感激した覚えがあります。実物を見たときも「永久磁石だから学生が雑に扱ってもなんともないぜ!HAHA!」と担当のおっちゃんが本体をベシベシたたいておりました。

チャートを見た感じではまあまあちゃんと取れているのでざっと確認するくらいには十分使えると思います。ただ45MHzですので J値 = 化学シフト値の差×周波数(MHz)であらわされることからもわかるとおり、一つのピークが占める幅がかなり広いです。たとえば酢エチのエステルCH2のピークは300~500MHzのそれよりはるかに広がっていました。結果、いろんなピークがオーバーラップすることになるので複雑な分子ほど完全解析は難しいものになるでしょう。

と、半年以上前に書こうと思って没にし、完全に旬の終わったこのネタをなぜ今更ほじくりかえしてきたかというと、昨今の世界的ヘリウム危機があるからです。

おそらくかなりの影響がすでに出ているのでご存じの方も多いと思われますが、ただでさえ供給元の限られているヘリウムガスの供給元が定期検査中+事故で完全に供給がストップするというとんでもない事態に。どれくらい不足してるかと言えば遊園地からヘリウム風船が消えるレベルだそうです。だいぶ12月になって改善してきているようですがそれでもかなり危ない状態は続いています。

高分解NMRは超電導磁石によって成り立っており、超電導状態にするためには極低温状態を保つ必要があります。そのために液体ヘリウムは使われており、その液体ヘリウムを冷やすために液体窒素が使われています。冷やすためのものを冷やすとか何か変な感じがしますが重要なのは液体ヘリウムでこれがないとNMRが使えません。困ったことに周波数が上がるNMRほど燃費が悪くなるので液体ヘリウム・窒素代(通称エサ代)もかさんでいきます。このことからも『ヘリウムが入れられない』という状況がいかに深刻であるか、ということがわかるかと思います。そしてレベルが低くなればなるほどクエンチが起こりやすくなり(冷えてない釜の部分がどんどん増えるため)、窒息事故の危険性も大幅に高まります。その際にはもちろん釜も死ぬので励磁しないといけなくなり、大ダメージです。



「じゃあ切っておけばいいじゃん、ヘリウムが入るようになってからまたつけたら?」
と思われるかもしれませんが、釜を落とし(超電導状態を解消、消磁する)、再度励磁するだけでもうん百万というマネーが飛んで行ってしまうのでスイッチのon/offといったような単純な話ではありません(安定化まで時間もかなりかかる)。もっというと、消磁する際は発熱があるのでそれを冷やしながら落としていかないといけないため、液体ヘリウムが満タンに近い形でないと安全に消磁できません。つまり、現状液体Heのレベルが低いNMRでは消磁もできないという『詰んだ』状態にさらされているわけです。もっとも消磁可能なレベルまでHeあったら「改善するんじゃないの?」とかなって結局消磁しないでしょうけど。

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2013.1.30追記
ついにメーカーであるJEOLからもこんな通達が出ました。
やはりHeレベルの消磁下限はかなり高いラインになっています。
早くクエンチするかクエンチ覚悟で使い続けるか、を迫られるレベルでヘリウムが逼迫しているということがよくわかります。それぞれのデメリットや詳細は下記リンクを参照ください。

ヘリウム調達難に伴うNMR装置対応について(JEOL、PDF注意)
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NMRがかなり供給の不安定なものに頼った(しかも大飯喰らい)機器であることを今回改めて認識することになったわけですが、仮に液体ヘリウムの供給が再開されるようになったとしても最近のヘリウム需要の激増から言って、いつまたこういうことが起こらないとも限りません。NMRなしで有機化学を進めることはもはや不可能(IRで帰属していた時代に逆戻り?)であり、タンパク解析などあらゆる科学技術の進歩、もっと直接影響がでるものでいえば医療検査で使われるMRIも使えなくなってしまうので、『超電導NMR,MRIを止めます!』という風にはならないでしょう。だからどうしようという解決法も特に化学者的にはないのですが、永久磁石によるNMRの分解能・周波数向上や価格・大きさの改善などは現在でも積極的に取り組んでいいテーマなのではないでしょうか。もちろん永久磁石では限界があるので、液体窒素レベルでも達成できる超電導磁石の開発ができれば一番いいんでしょうが、実用化を期待するにはまだ遠いのが現状。液体ヘリウムをなるべく使わないで済むように永久磁石NMRを改良しつつ、超電導磁石の改善に投資して、数十年後に備えておくのがいいのではと個人的に思っています。なんだか某国の電力事情じみてきてますが。

もう一つ、この卓上NMRにおける「液体He,N2フリー・場所いらず・300や400,500のNMR買うより圧倒的に安価」という利点が拓く道があります。それは『開発・発展途上国での導入』にあります。幸いにして日本には外を歩けばNMRにあたるレベル(嘘)の台数を持っています。しかし途上国には国単位で一、二台しかないところや、そもそもない、なんて国も多数。仮にNMRを買えたとしてもその後のエサ代やメンテなど、継続的に金のかかる機械ですし、昨今のヘリウム事情からして、新参の顧客で必要量を買おうと思ったらかなり大変になるのではと思います。そもそもそれらの継続的な運搬にも難があります。

安価とは言っても所詮数百万するわけですが、継続的なエサを与える必要がないというのは極めて大きなことです。また単に箱から出せばいいという、NMR専用部屋や固定などの工事を必要としないといったことも重要な利点です。現状発展途上国では先進国との共同研究などを介して研究を進めていることがほとんどですが、それは研究設備が乏しいことに大きな一因があります。我々はこの卓上NMRをサブ・2台目以降のものとして考えてしまっていますが、この装置のさらなる発展はこういった国々でのメイン装置としての研究環境を改善することにつながっていくのではないかと期待しています。まだまだ分解能は低いですが、ないという環境に比べたらはるかに良いわけですから。

うーん、ちと持ち上げすぎかしら?
posted by 樹 at 18:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 有機化学雑記 | 更新情報をチェックする
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