ペリ環状反応の代表格と言えば[4+2]のDiels-Alder反応。反応機構も一般的な反応とは異なり、ジエン―ジエノフィルの軌道エネルギーが大きく左右し、一挙に反応が進行(協奏的、「競争」ではない)する反応です。一挙に環状骨格を形成でき、しかも信頼度の高いこの立体選択的反応は天然物を含め様々な縮環化合物の合成にこれでもかと用いられてきました(でもやったことない私(´・ω・`)
その反応機構の特殊性もあって普通では起こらない選択性も見られます。それがEndo則であり、立体障害の大きい付加体が、立体障害の少ないExo体に優先して速度論的に得られるというものです(ただし分子内D-Aは立体的な制約がつくので別の話)。
この不思議な現象をどう説明するか、その理由として用いられているのがWoodward, Hoffmannによって提唱された二次軌道相互作用(Secondary Orbital Interaction)です。そもそもの源流はAlder-Stein則の「不飽和結合同士が最も重なるようにして付加する」というものですが、Diels-Alder反応によってできる結合の部分を1次軌道、それ以外の結合に関与しない2次の軌道相互作用によってこのEndo選択性が発現するというものです。具体的にはジエン部分のHOMOの結合に関与しない部分と、ジエノフィルの隣にあるπ電子の軌道の符号が一致することでattractiveな効果が発現し、これによって立体的には不利だけどEndo体が得られるというもの。静電的にも反発しそうだけどなあ、と思ったもんですがとにかく教科書的にもそういう説明がされています。
が、やっぱりほんまかいなと思う人はいるわけで、実際D-A反応の遷移状態は生成物の選択性も意外と高くなかったりするのが実際だったりします(それこそが立体障害の大きいはずのEndo体が多く取れるEndo則だと言われればそれまでですが。なお、Lewis酸などが絡んでくるとまた別の話になってくるのでそれは無視)。
また、D-A反応のexo/endo比は溶媒によってかなり変わってもくるので、ほんとにこんな効果あるんかいな、あってもそんな強く効くんかい、と結構議論には前からなっていたようです。
そんななか、2000年にものすごい刺激的というか物騒なタイトルの論文がAcc. Chem. Soc.に登場。曰く「2次軌道相互作用なんてなかった」とか。
Do Secondary Orbital Interactions Really Exist?
Salvatella, L. et al. Acc. Chem. Res. 2000, 33, 658-664.
ΩΩΩ<な、なんだってー!?
とMMRばりに言いたくなるタイトルですが、曰く、2次軌道相互作用なんて特別なもん出してこなくたってそんなのは他の相互作用で説明がつく、というもの。先に挙げた溶媒効果やExo/Endo双方の遷移状態のエネルギー差に大した差がないことなどに加え、例えば無水マレイン酸とのD-A反応でEndoを取らないのはジエンのs-cis内側のC-Hとマレイン酸の酸素原子上n電子との静電反発が大きいとか、フラン類との[4+2]ではフラン、ピロール、チオフェンのヘテロ原子Xとジエノフィル上のHとの相互作用の強さで決まるとか、Exo付加ではC-H同士の立体反発があるがEndo体はCH-π相互作用があるのでEndoが有利になる等々。どれも別に2次軌道相互作用なんて持ち出してこなくたって説明がつくというのです。
(という説明を詳しくやっていこうと思って長いことほっといたんだけど恐ろしくキリが無くなるのでざっくりと超の付く触りだけにしました、なんたるやっつけ)
この辺はもう実験的には説明を付けようがないので計算に頼るしかないわけですが、こんなちゃぶ台をひっくり返すようなことになって「はいそうですか」とは行きません、論文タイトルもタイトルですしw
というわけでこのすぐ後に、2次軌道相互作用の直接的な証拠を挙げてきた論文が出てきました。但し、その相互作用はかなり弱いものである、とのことです。まあ2次軌道相互作用があるかないかで言えば「ある」ということです。
Direct Evaluation of Secondary Orbital Interactions in the Diels-Alder Reaction between Cyclopentadiene and Maleic Anhydride
Cossio, F. P. et al. JOC 2001, 66, 6178-6180.
これを受けて先のSalvatellaらは続報を出し、「確かに2次軌道相互作用はあるが、静電反発や立体反発がそれを上回っており、役には立ってない」としています。もっとも『ない』とぶち上げた論文の後だけにタイトルも"Really Necessary?"とトーンダウンしてますが。
The Source of the endo Rule in the Diels-Alder Reaction: Are Secondary Ortibal Interactions Really Necessary?
Salvatella, L. et al. Eur. JOC 2005, 85-90.
このあともしばらくあるだのないだのでやんややんややってたのですが、最終的(?)には以下の論文で述べられているように、『遷移状態としてはExo/Endoにエネルギー差が殆ど見られないが、遷移状態の芳香族性がEndoの方が高い(磁化率χが低い)』という計算結果により、やっぱり2次軌道相互作用は『ある』という形で落ちついているようです(この辺専門家ではないので現状どうなってるのかはわかりません、ご指摘があればお願いします)。
The Existence of Secondary Orbital Interactions
Schleyer, P.V.R. et al. J. Comput. Chem. 2007, 28, 344-361.
まあ、結論から言えばやっぱり2次軌道相互作用は「ある」ということなのでやっぱりタイトルは嘘なんですがw、少なくとも学部でやっていたようなローブの重なりと言った程度の説明だけでは実は片付けられない相互作用であるわけです。実際実験している合成屋が通常見ているのはあくまでも結果、事実であり、その裏にはこういった恐ろしく複雑なメカニズムによる真実があるということを頭のどこかに入れておくべきでしょう。
なお、過激なタイトルの論文を出したSalvatellaらですが、別に「そんなもんねえよwww」と言うために出したわけではなく、ちゃんと確かめられてるかどうかの議論が不十分なのに『そういうものがある』として議論が進められていくことに対しての懸念から、あえてこういうタイトルで出したのではという気が強くします。化学でなくても多いですよね、こういうものの進められ方って。
※比較的新しい相互作用の概念であるCH-π相互作用に関しては以下の総説をご覧ください。
The CH/p hydrogen bond in chemistry. Conformation, supramolecules, optical resolution and interactions involving carbohydrates
Nishio, M. Phys. Chem. Chem. Phys., 2011, 13, 13873–13900.
CH/p hydrogen bonds in organic and organometallic chemistry
Nishio, M. et al. Cryst.Eng.Comm., 2009, 11, 1757-1788
Relevance of Weak Hydrogen Bonds in the Conformation of Organic
Compounds and Bioconjugates: Evidence from Recent Experimental Data and
High-Level ab Initio MO Calculations
Takahashi, O. et al. Chem. Rev. 2010, 110, 6049–6076
やっぱし言いすぎでしたかね、失礼しました。
やめときゃよかったな。
今の教科書に書いてあることも真実かもしれないけど、説明不十分な事実は弊害を伴う。DHMOの件の様に(笑)