天然に存在する化合物には様々な骨格を持ったものがいるのはご存じと思いますが、中には、一般的に優しくmildという印象のある自然界が作り出したとは思えないほどに思いっきりねじ曲がった分子も多数存在します。有名どころではBredt則に反するオレフィンを持ったTaxolやCP-molecule、inside-outside構造のために関節技を決められたかのようにねじれた構造を持つingenol、平面のはずのベンゼン環がボート型にねじ曲げられたhaouamineなど、分子模型を組むにも苦労する分子も。人工分子ではキュバンやテトラヘドランなどが知られていますが、天然有機化合物はどこまでそれに近づけるのでしょうか。
とは言っても上記のような多環性分子の話をすると永遠に終わらないので単環式から見て行くことにします。
単環式で最も小さいモノはシクロプロパン環で、これも分子模型を組むには専用のパーツを使わないとあっという間に折れてしまうレベルの骨格。ですが天然物にはこのシクロプロパン環を持ったものは無数にあり、割と当たり前のように入っていたりします。最近全合成された下のような複雑な天然物にもシクロプロパン環は存在します。
ではその不飽和版、シクロプロペンはどうでしょう。
シクロプロパンのひずみエネルギーSE値(Strain Energy, 各分子の燃焼熱からシクロヘキサンの燃焼熱を差し引いた値、つまりシクロヘキサンと比較してどれくらいのエネルギーを持っているかを表すもの)は115.5 kJ/molですが、シクロプロペンになると一気にその倍である220 kJ/molにまで跳ね上がります。
そんな強烈なひずみのかかった骨格にも関わらず、このシクロプロペン骨格を有する天然物は複数知られています。最近では毒キノコ・ニセクロハツの毒成分として2-cyclopropene carboxylic acidが単離されています。
同様にシクロプロペン型骨格であるアジリン環を有する天然物としてアジリノマイシン類縁体が発見されています。アジリンの場合、SE値は201 kJ/molとシクロプロペンよりはひずんではいないようです。
このように単環性で最もひずんだシクロプロペン骨格でも生合成によって構築されるというのは驚きです。では2環性の場合ではどうでしょう。Bicyclo[3.2.0](シクロペンタン+シクロブタン)や[3.1.0](シクロペンタン+シクロプロパン)型はヘテロ原子を含むものも入れると結構色々なのがあるのでパスするとして、Bicyclo[2.2.0]hexane骨格、つまりシクロブタン環が二つ縮環した形の骨格ともなると相当なひずみがかかってきます。ところがそんなひずんだ骨格にも関わらず生物はこんな骨格を作ってしまい、それどころは2環とは言わず5個まとめてつながった階段状の骨格を作り上げてしまいました。それが有名なpentacycloanammoxic acidで、Coreyらによって全合成が達成されています("Classics in total synthesis III"でも取り上げられています)。「階段」という人工物状の造形が自然界によって作り出されたという点でも芸術的な分子と言えると思います。bicyclo[2.2.0]hexane自体のSE値は 212 kJ/molとシクロプロペンと同程度ですが、Coreyらは様々なデータからこの分子pentacycloanammoxic acid自体のSE値を314 kJ/molと見積もっています。
ではさらに一つずつ炭素を減らしてbicyclo[1.1.0]butane、つまり三角形が二つくっついた形状の2環性骨格としては最小となる構造はどうでしょう。ただでさえシクロプロパン環がひずんでいるのにそれを二つくっつけるなんて!人工的に合成することが可能とはいえ、もうここら辺に来るとsp3炭素=正四面体だったっけ?と思いたくなるくらいのストレッチ運動になっちゃってます。
が、そんな不安定骨格ですら酵素はたやすく合成してしまいます、下の化合物がそれです。ビシクロブタン環にアリルエポキシドなど不安定要素満載のこの分子は不飽和脂肪酸から変換されています。bicyclo[1.1.0]butaneのSE値はシクロプロペンやbicyclo[2.2.0]hexaneのそれを上回る268 kJ/mol!こんなものが非合成化学的に生産されるとは。生合成経路としてはoxa-di-π-methane転位かと思ってたんですが、論文中ではカルボカチオン経由が提唱されています。
※この分子は単離してきた酵素に対して不飽和脂肪酸を与えて得られたenzymatic productであり、菌など生物そのものから抽出して出てきたいわゆる天然物とはちょっと違います(論文中でもnatural productとは一言も言っていない)。ただし、酵素が脂肪酸からこのような不安定な化合物を生産できることが明らかになったことは確かであり、自然界でもこれが生合成されている可能性は大いにあるわけです。不安定化合物なので単離はかなり難しそうですが。
※追記
つい最近、このビシクロブタン脂肪酸の全合成報告が発表されました。生合成経路はcationicですが、この全合成の鍵はシクロプロピルアニオンによるSN2'型カスケード閉環反応です。安定に取り出すことのできたメチルエステルでも重DMSO中での半減期は3日とのこと。
Synthesis of a Bicyclobutane Fatty Acid Identified from the Cyanobacterium Anabaena PCC 7120
Sulikowski, G. A. et al.
ACIE Early View DOI: 10.1002/anie.201104366
それにしても上記の階段状分子もそうですが、人工的な歪み分子が自然界によって作りだされそれをまた人間が合成するっていうのは何か不思議な感じがします。
単利構造決定の技術向上によってこのような極めてひずんだ不安定化合物でも自然界から続々と発見されるようになりました。ひょっとするとさらにひずんだ正四面体型のテトラヘドラン、サイコロ型のキュバン骨格を持った天然物が発見される日もそう遠くはないのかもしれません。
俺たちの物採りはこれからだ!
完
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