ジアゾメタンはTMSジアゾメタンよりも強力で、実験室レベルでは良く使われる試薬です。しかし、不安定であるため、ある程度の保存は効くものの、基本的にはエーテル溶液での逐次調製が必要となります。そしてその強力さ故、ジアゾメタンは高い毒性を有していること、しかも低沸点(-23℃、溶液にしているエーテルも揮発性)ということが大問題な化合物でもあります。さらに逐次調製に必要な試薬類(下図)はジアゾメタン以上に毒性が強いということも更にネック。
そして致命的なのはとんでもない爆発性を有しているということ。実験室スケールですらガラスのスリをキュっとするだけでも大爆発を起こしてドラフトが吹き飛ぶ(らしい)レベル。そのため、ジアゾメタン調製には特別な非ガラス製のプラスチックでできたキットが使われます。この様な特性(+毒性)のせいで昨今は特に使用がはばかられる試薬でもあります。
Lappertにより報告され、Seyferthによってカルボン酸のメチル化剤としての性能が見出されたTMS-ジアゾメタンは爆発性もジアゾメタンより少なく、高沸点(といっても96℃ですが)であり、安定なため市販品を購入することができるという大きなメリットがあります。
ジアゾメタンでのカルボン酸メチル化の反応機構は簡単なので置いておいて、TMSジアゾメタンの場合ですが、TMS基のα位安定化効果を受けて、ジアゾメタンよりも安定化しているカルバニオンがカルボン酸のHを引きぬくなど、大体の反応機構はジアゾメタンのそれと同じです。しかし想像に難くないようにTMSのくっついたメチルエステルや、TMS化されたカルボン酸等が多く副生してしまいます。
この非プロトン性条件を青山―塩入らが改良し、メタノール存在下でエステル化を行うことで劇的にメチルエステルの収率を向上させることが出来ました。この場合酸性度の高いカルボン酸のHをTMSジアゾメタンが取るところまでは同じですが、βカチオン安定化効果の影響で外れやすくなったTMS基がメタノリシスを起こして外れ、系内でジアゾメタンが生成してメチルエステル化が起こるという反応機構となります。なおTMS-メチル化されたエステルも多少副生します。メチル基はメタノールからは入らず、またTMSメチルエステルのprotodesilylationも起こりません。
この様にin situでジアゾメタンを発生させる(とされている)ため、爆発性に関してはTMSジアゾメタンはジアゾメタンよりも安全な試薬として利用されています。
が、
あくまで安全と分かっているのはこの爆発性に関しての話。
実は毒性に関してTMSジアゾメタンがどの程度のものなのかは正確には分かっていません。ちょっと考えてみれば、系内でジアゾメタンは出てるわけだし、大体シリコンの付いた化合物なんて大概生物毒ですから、安全とは思えないことは容易に想像できます。事実、TMSジアゾメタン吸引による死亡事故も何件か起こっています。
Firm Fined For Chemist's Death
Safety: Sepracor Canada admits lack of lab ventilation in worker fatality case
C&EN Magazine
この記事は裁判の結果に関する記事ですが、事故の中身については以下にも記載されています。
Clin. Toxicol.
DOI: 10.1080/15563650903076924
簡単に言うと、
屋上で工事⇒hume hood(ドラフト)が動かない
⇒TMSジアゾメタンを使う⇒ガス吸って肺をやられて死亡
という流れ。記事にもありますが他にも死亡例はあり、雇用者側に多額の賠償金が請求されています。実際TMSジアゾメタンの何が致死原因なのかは分かっておらず、「残存するジアゾメタン」だとも「TMSジアゾメタンの分解物」、や「TMSジアゾメタンの代謝物」だとも言われています。
比較対象があって、ある事柄に関して「それよりも安全」と分かっていると、全く別の事案に関しても「やっぱりこれも安全」と思ってしまうのが人間。このように爆発性と毒性は全く別の話であるにも関わらずやっぱりどこかで安全だと思ってしまいがちですが、取り扱いには気をつけましょう。あと換気は重要。
Reference
TMSジアゾメタンによるカルボン酸のメチルエステル化反応機構の解析とTMSジアゾメタンの軽い歴史
Mechanism of methyl esterification of carboxylic acid by trimethylsilyldiazomethane
Lloyd-Jones, G. C. et al.
ACIE 2007, 46, 7075-7078.
DOI: 10.1002/anie,200702131
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追記
危険で爆発性のあるジアゾメタンをマイクロリアクターを用いて合成し、そのまま反応に使用することで危険性を下げたフローシステムの報告例がAngewandte Chemieのcover articleで報告されました。ご参照ください。
Continuous In-Situ Generation, Separation, and Reaction of Diazomethane in a Dual-Channel Microreactor
Kim, D.-P. et al.
ACIE DOI:10.1002/anie.201101977
カバーイラストはこちら